『わすれられないおくりもの』 スーザン・バーレイ さく え 小川 仁央 やく
ここ半年、いや、もしかしたら1年くらい。もっとかな。
「ぼく、死んじゃわない?」
と、長男が、よく呟くようになった。
寝る前。寂しい時。舞台や映画などで心動かされた時。あとは、すごく嬉しいことがあった後にも。
曾祖父母との別れを経験したり、いろんなニュースの影響とかもあるのかなぁ。
とにかく、ふとした隙に死の恐怖のようなものがヒューっと入ってきては、彼を悩ませているらしい。
大丈夫だよ、と受け止め続けているけれど、あまりにも言うもんだから、時に「大丈夫だってば!」と冷たく言い放ったりすると、わかった、と言いながら「ぼくは死なない、死なない…」と小さくモゴモゴ唱えていたりする。ううぅぅ、こうやって改めて書くとかわいそうだな。。。
そういう感覚は私にも痛いほど覚えがあって。
私も小学校低学年の頃、そして高学年の頃。自分の中では2回。死ぬのが怖くて怖くて仕方なかった時期があったように思う。
寝る前には布団を頭までかぶって毎晩神様にお祈りをした。自分が死なないように。自分の家族が、友達が、みんな、みんな、世界中の人が、みんな、死なないように。
息子も、今、そういう時期なのかなぁ。
何となく良い関わりができないかなぁとずっと思っていた時に、Eテレの「グレーテルのかまど」で『わすれられないおくりもの』のしょうがパン(ジンジャーブレッド)の回を観た。
繊細な彼にこの本を読むのが良いのか、そうでないのか、すーごく、すーごく、迷ったけれど、絵のかわいさに引き寄せられるように「これ読んで~」と言うので、心を決めて、ちょっと悲しいかもよ、でも、とってもいいお話だよ、と添えて、丁寧に、読んでみることにした。
かしこくて、いつもみんなに頼りにされていて、困っている友達を誰でも助けてあげる、知らないことはないというぐらい物知りのアナグマ。
そんなアナグマは、自分がもうすぐ死ぬということを知っていた。自分が死ぬことは怖くないけれど、残していく友達が気がかりで、自分が死んでもあまり悲しまないように、と伝えていた。
ある日、ついに、アナグマは死んでしまう。友達はみんな、ひどく悲しむのだけれど…
結論から言えば、息子の反応は、特に、なし。
「ぼく、死んじゃわないよね?」の変化も、特に、なし。
いいお話だねぇ、
と言って、普通に、眠りについた。
でも、その後も何度か「読んで」と言って来るから、きっと、多分、怖くはないのだと思う。
天然くんなので“長いトンネルのむこう”という表現を理解していないだけなのかなとも思ったけど笑、可愛い動物たちが出てくる優しい絵を眺めながら、2歳の弟も一緒になって静かにお話を聞いてくれる。
言葉や絵に込められた絵本の優しさや愛情のようなものは、ちゃんと、届くのだと思う。
ちょっと前におばあちゃん(私の母)が泊まりに来た時にも、「ぼく死んじゃいたくない…」と呟いた長男くん。
「そりゃあ、死なないように生きるしかないわよぉ~!!」
と、母。お母さんのこういうところ、ちょっと良いと思う。
心と体においしいご飯を食べて、よく遊び、よく眠り、安全に過ごせるように努める。そうして、元気に、前を向いて、生きていくしかない。それが、生きるということなのかな。
長男が生まれたとき、小さな丸い顔を見ながら、この顔がしわしわのおじいさんになるまでどうか生きていってほしい、と願った。
たくさんの人と出会い、たくさんのことを知り、たくさんのことを経験し、そしてもう十分、と思えた後に死んでいくということができたら、それは、幸せなことなのだと思う。
どうか、私の子どもたちが、周りの全ての人が、世界中の、みんなが、最後まで、幸せに、生きていけますように。
布団の中でお祈りしたくなる気持ちは、今もそう変わらないけれど、死なないように、ではなく、幸せに生きていけるように、になったのは、大きな変化かもしれない。
息子も、そんな風に、生きるということを、大切に、思い始めているのかな。
『わすれられないおくりもの』 1986年
発行所 評論社
スーザン・バーレイ さく え
小川 仁央 やく