『こんとあき』 林明子 さく
林明子さん、大好きです。
林明子さんの絵って、本当に、本当に、あったかい。愛がたっぷり詰まっているなぁ。と思う。
そして、なんだろうなあ。スローな暮らしが、ちゃんと物語の世界に息づいている。丁寧な暮らしに憧れて、美しいものに思いを馳せるのに、結局は、便利で、安くて、ファストな暮らしをしている自分…背筋が伸びるような、なんだか、そういう力も持っている、林明子作品。私は、そう思います。
「こん」は、きつね。「あき」は、女の子。
「こん」は、ぬいぐるみ。でも、動ける、話せる。
それはそれは、ファンタジー。でも、世界は柔らかくて、優しくて、当たり前に進んでいく。
あかちゃんのおもりのためにやってきた「こん」。
詳しくは書かれていないけれど、きっとおばあちゃんの手作り。きっと、生まれて来る赤ちゃんのためにおばあちゃんがひと針ひと針、丁寧に縫ったぬいぐるみ。
赤ちゃんが生まれて、成長していく毎日を一緒に過ごしていたある日、腕がほころびてしまう「こん」。
おばあちゃんに直してもらうために、「こん」と「あき」は2人きりで電車(絵本の中では「きしゃ」と呼ばれている)に乗って、「さきゅうまち」のおばあちゃんの所へ行きます。
旅の途中では、「こん」がお弁当を買いに行って戻らなかったり、しっぽがドアにはさまれちゃったり、砂丘に寄り道しちゃったり、犬に出会って大変なことになったり…ハプニングがいっぱい。
…小さい頃、父親と2人きりで乗った新幹線の出発前、飲み物を買って来るから席で座って待っていなさい、と言われて席で一人待っていたあの時間…お父さんが帰って来る前に新幹線が出発してしまったらどうしよう、と不安で不安で涙をこぼした幼き日の私のあの気持ちが、まざまざと蘇ってきた。
あきは、何歳なんだろう。3歳くらいかなあ。
あきの、柔らかそうな赤いほっぺ、表情のあるおてて、まだぎこちなさの残る体の動き。あきの体いっぱいに、子どもの愛らしさが、ぷっくりと詰まっている。まだ、きっと、自分と、自分の目の前にあるもののことで精一杯。その小さな世界が、大きな一歩が、尊くて、愛おしい。
2人が乗る電車をよく見ると「特急とびうお」と書かれている。
そもそも、「こんとあき」のお話の舞台はどこなのだろう。さきゅう、だから、鳥取砂丘かな、と平凡な私は考える。そうか、きっと山陰地方に「特急とびうお」というのがあるに違いない、と思って調べたら…それは架空の電車でありました。多分。
でも、山陰地方はアゴ出汁、つまり、とびうおのお出汁が有名ですよね。だからきっと、「さきゅうまち」の砂丘は、鳥取砂丘、やっぱり、お話の舞台は、鳥取砂丘なんじゃないかな。
東北生まれ東北育ちの私は、生で鳥取砂丘を見たことがない。幼き日、日本にも砂漠(鳥取砂丘は砂漠ではないけれど…子どもの感覚だとそんな感じ)があると知った時の驚きよ!
いつかは行ってみたい…今も、憧れています。
さて、お話ももちろん大好きだけれど、お話を、人物の感情を、読み手の感情をも包み込み、飲み込み、まあるく、すくい上げてくれる絵が、やっぱり、やっぱり、すごいと思う。
こんのふわふわの毛並みを見ていると、抱きしめたくなるような柔らかさが手のひらに伝わって来る。
辿り着いたおばあちゃんのお部屋は、あったかくて、居心地がよくて、道具の一つ一つがまた素敵で。丁寧に暮らしてきたおばあちゃんの愛が、詰まっている。お風呂も見ているだけでとっぷり、あったかくて、私もご一緒したくなってしまう。
窓辺のお部屋の明るさが、
ビビットにくっきりと描き抜かれた待ちの1コマが、
包帯の柔らかさが、
冷たく染み込む砂丘の夕陽が、
絶対の安堵をくれるおばあちゃん家が、
完全無欠、元気になった、「こん」が。
絵を見るだけで、その愛に抱きしめられ、身を委ねてしまいそうになる。
そしてね、やっぱり、大人が、優しい。助けてくれた車掌さん、全てを包み込んでくれるおばあちゃん。表紙の、こんとあきの後ろでほほ笑むおばあさん、そして、それを一緒に見つめるでもなく決して関心が無いのでもなく、隣でどっしり受け止めているおじいさん。
大人って、人間って、そうあってほしい。そうありたい。いや、本当は、そうなんだ、きっと。
包容力。
絵本の魅力って、尽きないものだな、と、改めて思うのです。
林明子さん、すげえなあ。
こんなのもあった!カワイイ! |
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